日本人がノーベル賞をとるのは、過去の栄光だよ。
その頃の人は自分で考えてたんだよね。
でも、少し前の日本では、自分で考えると、
空気が読めない、常識で考えろ、そんなお金ない、だったからね。
お金がないなら、そこも考えればいいのに、削減、削除、しかなくて。
空気が読めない、そこも考えればいいのに、排除、しかなくて。
常識、そこも考えればいいのに、常識という有限の中でしか動けないようにする。
でも、そうやって、考えて工夫しなかったのか?ってつつかれると、あいつが悪いって、空気読めないってその集団で叩かれた人に責任をなすりつけられて。
こうしたら?ああしたら?って散々提案したのに、ダメ、ダメ、ダメ、でここまできて、結局責任までとらされて。っていう、のが今の若者の立ち位置。
ヤレ!でもダメ!結果、お前が悪い!という流れをつくった上司は、必死の抵抗。
幼い子供を育てていた頃の気持ちを思い出して、
危険でなければ、いいんだよ。
何したって、やってみなくちゃ。
幼い子供が、失敗したって、よくやったね、って言えたじゃない?
そりゃ、もう、子供じゃないんだけど、考える途中にやめさせたら、そこで終わっちゃうんだよ。
ノーベル賞をとった人だって、周りにいた人が、誰もそれを止めなかったから、やり遂げられたわけだし。
日本は遅れてるよ。
でも、
すごく正確に言えるなら、
日本は遅れてたよ。
だと思う。
最近の社会が、長い目で今をみることができている気がするから。
やっぱりtokyo2020も、教育改革も、必要だったと思う。
是非、東京オリンピックまでに、
度肝を抜くような技術が発表されてほしい。
ベビーカーや車椅子が浮いて、自力で階段を上がってくれるとか。