んー

擁護する人が擁護せずに音楽を作ってくれたらいいよ。越えなくてもいいし。
そしたら、その人の音楽を支持する。
いじめをしてこなかった人の音楽を支持する。

ハイブランドが毛皮を使わない。
毛皮があれば可能性が広がって、素晴らしい洋服ができるかもしれないけど、それは例え素晴らしいものだったとしても、同時に恥ずかしいものでもある。
そういう定義が出来上がった社会に今私たちは生きている。
いじめをした人が作った音楽が素晴らしいものだったとしても、同時に恥ずかしいものでもあると思う。

ただ、これからどういった行動をするか、で違う未来を作り出すこともできると思う。

というのが私の見解。
ただ 、帰国子女で英語しかわからない私に、ひどい言葉を投げ掛けてきた友達を今許せるか、といわれると、「一生関わりたくないし、存在も知りたくない」が本音です。