結局、友達作りのできる子なんじゃないかって思った。
研究者にしても、応援を仰げる人。
一人で黙々と一人で、というタイプじゃなくて、
コミュニケーションがとれて、輪を広げられる人。
それが、特異なコミュニケーション術だったとしても、この人面白いって思わせることができれば、輪は広げられるわけだし。
それに対して、
言葉尻ばかりを追って、誰かを陥れる発言に便乗するような人は、社会から排除されていってて、
そういう人たちが、友達の輪に入れない時間、コミュニケーション能力を求められないウェブ上で、自分を確立していってる。
っていうのが、今の社会なのかな。
コミュニケーションがとれなければ、成し遂げられないことが多いでしょ。
数学者だって、一人で悶々と、という時代は終わって、数学を解くにも、PCが必要で、プログラミングができないと進めなくて、発表できなくて、そのPCスキルを教えてくれる人が必要で、最新の方法を耳打ちしてくれる人が必要で、壊れたら修理してくれる人が必要で。
昔みたいに、紙と鉛筆さえあれば、っていう時代ではもうないじゃない。
そこで、やっぱりコミュニケーションをとる時に、強い人弱い人が現れて。
皆は弱者に手を貸そうとする。弱者にみせるのも一つの手段だけれども、もうそういう嘘めいた手段はばれてしまう時代。
そこに、年配の人がついていけないのが、今の歪みなのかな。
で、少子化っていうのは、そこで、
子育てをすることで新しい時代を身をもって体験する、ことのできない子ナシ家族が増えていくってところで、
社会が停滞してしまう懸念がある。
それを打ち破るためには、子ナシ家族が友達をたくさん作って、たくさんの人に刺激をもらうことが必要だと思う。
先を見据えて動ける人は、人と会って話をしている人で。
限られた空間の中で、紙と鉛筆だけではもう、一歩を踏み出すことは難しいのかもしれない。
ということを必要としていると考えると、
語学ができることが目標ではなくて、語学ができて海外に行けて、google勤務の人と知り合ってパイプをつくれることが必要で、
手に職を持つことが目標ではなくて、手に職をつけて、その魅力を伝えられて、発信してくれる友達ができて、それを使って社会に役立ててくれる友達や、それを伝承していってくれる後輩をつくれることが必要で、
スポーツで成績を残せることが目標ではなくて、スポーツができて、故障したら手を差し伸べてくれる医者やトレーナーさんがいてくれて、スポーツをする場所を提供してくれる、共感を得られる言葉を発することができることが必要で、
そういう人を養うために、大学受験が変わっていくと思ったら、
進学校はどうだろ、
塾ってなんだろ、
個別に同じ興味を持つものを引き合わせるようなクラスづくりをする学校が強くなっていくのかなって。
お友達受験とかも、ありなのかなって。
極論だけど。
多すぎるのもどうかと思うけど、2人ペアで一緒に、くらいなら、
いじめられても、保護者同士のつながりで早い段階でわかるかもしれないし。
アイツ、そんな奴じゃないですよ。昔、こんな友達を助けたことがあって、なんて話ができる人が学校や会社にいる方が、社会がうまくまわるのかも。って。
友達同士で隠さず本音を話せるかもしれないし。
新しい環境で新しい友達っていうのも大切だから、そんなに多くではなくていいと思うけど。
習い事が一緒とかでもいいなと思うけど。